いぶし銀店主経歴

 

●出生から高校生●

昭和44年1月栃木県佐野市の生まれ。

佐野といえば当時からラーメン処として有名で、1日に1000杯売るお店もあるほど。

「外食といえばラーメン」という環境の中でそだちました。

小学校五年生のときにジャスコが出来て、そこに「寿がきや」が開店、

その美味しさと安さのトリコになり、高校生の頃は1日3回食べてました。

子供の頃はお腹が空くとインスタントラーメンを自分で工夫して作ってました。

「チャルメラ」「東京ラーメンこれだね」が多かったです。

いぶし銀人気の「ターボ」の原型は高校生の頃にはもう出来てました。

チャルメラにハンバーグ用の合挽き肉とコーンとブラックペッパーを入れると抜群に美味しく

プロセスチーズも載せてました。

高校生になってアルバイトを始めてこずかいが増えると友達と「とかの」「万里」に行くようになりました。

あとは「日の出」味噌ラーメンもよく食べました。今でもはっきり思い出せるくらい美味しかったです。

 

●大学生

東野マスター日本大学法学部野宿研究会に所属してまして、夏休みなどはバイクに跨り北は北海道南は九州までひと月ほど走り回ったおりました。そのときも一日一度はラーメン食べてましたね〜(^^)
のようなラーメンガイドブックは無いので、たまたまあったお店に寄ったり、現地の人に教わったり、たまにびっくりするくらい美味しいお店に出会えてそれが一番心に残ってます。
しかしながら当時下宿していた小岩の「若竹」さんを超える味はなかったです。

 


大学卒業後

一年ほど当時流行っていたフリーターをしてお金を貯めて、次の一年はアジア、オセアニアバックパッカーの旅に出ました。始めの二ヶ月は中国、チベットをウロついて、この時も麺類はよく食べました。その後バンコクでのタイ料理にも衝撃を受け、青春時代の旅の想い出の味がいまのいぶし銀のラーメンの源にあるのは確かですね。
そんな中、ラーメン屋として生きていく意思を固めながら旅から戻り
若竹さんに弟子入りを志願したのですが
一度断られてしまいました。
しかしながら、ご縁をいただいて働かせて頂く運びになりました。
当時若竹さんは、昼の11時30分から14時夜は18時から25時30分までの営業でしたが、新たなる私が入ったことで28時まで営業延長することになりました。今思うと大変有り難い事です。

その後、先輩の独立などもあり営業時間は戻りましたが、とにかく繁盛店でしたので、店、出前、仕込み、片付けなど目が回るようでした。

(…つづく)